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1964年東京オリンピックと東京大学駒場のかかわり(小史)

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1964年東京オリンピックと東京大学駒場キャンパス (人物史を中心とした小史)

東京大学教養学部体育科加藤橘夫教授は、大島鎌吉氏(東京オリンピック選手団団長・陸上競技)と協力して、スポーツに科学的トレーニングを導入することやスポーツ科学の研究、およびオリンピック選手に科学的トレーニングを取り入れることの重要性を説き、日本体育協会(当時)にスポーツ科学委員会を創設するとともに、各競技団体にスポーツドクター制度をつくり、スポーツドクターを配置した。
また、加藤橘夫教授は、東京大学教育学部の体育学健康教育学科(現在は身体教育学科に改組)の体育学分野の教授として、医学部出身の猪飼道夫教授を招請し、駒場キャンパスの教養学部保健体育科には、医学部循環器内科の黒田善雄助教授(のちに教授)を招いた。わが国で、唯一の体育学の分野の博士課程を持つ研究者養成機関として、大学院教育学研究科の猪飼道夫教授は、日本のスポーツ・体育科学分野の発展と研究者の育成に貢献した。体育学分野の博士課程最初の学位取得者は、宮下充正氏である。宮下氏は、名古屋大学助教授から猪飼教授の後任として東京大学教育学部教授となり、多くの後輩を指導した。特に、水泳競技の研究から、スイミングスクールの育成(エイジグループ)や高地トレーニングを推進し、今日の水泳競技の隆盛の基礎を築いた。
教養学部の黒田善雄教授は、1964年東京オリンピックに向けて創設された日本体育協会スポーツ科学研究所の所長を兼務した。のちにWADA(世界アンチドーピング機構)の重鎮となっている。今日の国立スポーツ科学センター(JISS)は、スポーツ科学研究所が発展の源となっている。現在(2017年)の国立スポーツ科学センターの所長である川原貴氏は、黒田善雄教授の後継者として、教養学部保健体育科助教授として勤務していたが、国立スポーツ科学センターの設立に伴い、東京大学を退職した。
 国立スポーツ科学センター(JISS)の構想は、1964年東京オリンピックの頃から浮上していたが、実際に創設されたのは、2000年である。その構想や内部設備には、多くのアイデアが生かされているが、最も参考にされたものが、松井秀治名古屋大学名誉教授が名古屋財界(商工会議所)の協力を得て創設した「スポーツ医・科学研究所」(愛知県知多郡阿久比)(1988年開設)である。松井秀治氏は、医学部の福田邦三教授に師事し10年間東大駒場の保健体育科に助手として勤務し、東大医学部から医師免許を持たない初めての医学博士号を取得した後、39歳で名古屋大学教授となり、名古屋市がソウルとオリンピック誘致を争って負けた機会に、オリンピック開催準備金をもとに「スポーツ医・科学研究所」を開設して、スポーツ医・科学研究のあり方の手本を示した。

加藤橘夫氏は、1964年東京オリンピックに関連して「1964世界スポーツ科学会議」(第1回)を開催し、組織委員長を務めている。この後、スポーツ科学会議は、オリンピック大会と合わせて開催されるようになった。
1964年東京オリンピックの陸上競技選手の練習場として、東大駒場キャンパスが指定され、我が国初の本格的なウェイトトレーニング施設を備えた「トレーニング体育館」(現有)が建設された。この体育館の完成時には、灘尾弘吉文部大臣(当時)の視察もあった。その後、このトレーニング体育館の施設を生かして、筋力トレーニングや基礎体力作りの講習会がたびたび開催され、我が国に、筋力トレーニングを普及する役割を果たした。筋力トレーニングは、教養学部保健体育科松尾昌文教官(当時助手・現・埼玉大学名誉教授・マスターズパワーリフティング選手権世界第1位)がその指導者となったが、その後東京大学に入学した石井直方氏(現・東京大学教授)は、学生チャンピオン、全日本チャンピオンとなり、アジアボディビル選手権チャンピオン、世界ボディビル選手権で上位入賞の栄冠も得ている。2016年東京大学の15部局が参加する東京大学スポーツ先端科学研究拠点(UTSSI)の拠点長に就任した。
 東京大学駒場キャンパスに1964年に建てられた第2体育館は、埼玉県戸田ボートコース建設にあたり、東京大学の艇庫位置を変更させる必要性ができたことにより、オリンピック組織委員会によってその代替施設として、人工的な流水施設を持つ本格的な室内漕艇トレーニング施設が作られた。この施設は、世界初の流水式漕艇用トレーニング施設として、東大ボート部の練習に使われた。国立スポーツ科学センター(JISS)にも、流水式漕艇用トレーニング施設が作られている。
 
1964年東京オリンピックでは、駒場キャンパスの陸上競技場および第2グラウンドが公式練習場に指定されたことにより、陸上競技場は、第3種公認競技場として、アンツーカーとコースラインを備えたものに改装され、多くのアスリートに利用された。
第2グラウンドは、投擲練習場とされ、投擲サークルがセットされ、主としてハンマー投げの選手の練習場となった。

東京大学駒場キャンパスは、その人材および施設を利用して、我が国のスポーツ科学に関する研究を推進するとともに、学会、研究会、講習会、研修会を頻繁に開催し、多くの科学的知見や、トレーニングの科学的方法などを、広くスポーツ関係者に普及する役割を持った。
このことから、スポーツ科学の原点を、東京大学駒場キャンパスと考える人も少なくない。
また、東京大学検見川グラウンドでは、ドイツ人サッカー指導者のクラマー氏を招請して、日本サッカーチームの指導が行われた。検見川グラウンドを日本サッカーの聖地と考えるサッカー関係者も多いが、駒場のスタッフも検見川には深くかかわりを持っている。
東大のサッカー関係者として、岡野俊一郎氏、竹腰重丸氏、浅見俊夫氏(国立スポーツ科学センター初代センター長 東京大学名誉教授)、戸苅晴彦氏(東京大学名誉教授)、などがいる。
 2016年6月に東京大学スポーツ先端科学研究拠点(UTSSI)が発足したことによって、新しいスポーツ先端科学の発展が期待される。
                           (文責 小林寛道)